シベリア少女鉄道vol.16『残酷な神が支配する』@吉祥寺シアター(7/9に観た)

シリアスな前半をあっと驚く後半で落とす、自分が楽しみにしている劇団の4ヶ月ぶりの新作公演。前々回のvol.14『スラムダンク』、前回のvol.15『ここでキスして。』と2回連続で観劇前にうっかりネタに関するキーワードを知ってしまって悔しい思いをしたので、今回は意識して演劇に関する情報をシャットアウト。公演チラシと公式ホームページ以外の情報は無い状態で劇場に着くことができた。
吉祥寺シアターはこの前の拙者ムニエル『華なき子』観劇で初めて入った時は広い劇場だと思っていたけど、今回入って見ると、逆に思っていたより狭い印象。舞台上は何かの倉庫か控え室か(?)というセット。奥行きが無い。舞台裏に何かあるのか?緊迫感のある映画のサントラか何かのBGMが流れている。座席は中央のちょっと前。ステージ全体がよく見える位置。普段この劇団の作品を観るときはかなり前の方の席であることが多いので、いつもよりもステージから少し遠い印象だけど、この劇団の作品の特色から言うと前のほうでも位置によっては見難い(観るのが疲れる)ことがあるし、役者さんを間近で見るのが目的ではないので、観やすくてまあいい席かもしれない。
開演3分前から壁をスクリーンとして使い、そこにカウントダウンが表示される。きっと作品中もこの部分に映像を流すのだろうと予測する。カウントダウンは0になり開演。
前半開始。
今回は導入部分から緊迫した演出。誘拐事件と同時に起こる警察のコンピュータへのウィルス。奥行きが無いセットだと思っていた舞台は120°の回転舞台になっていて最初は「部室」で「カフェテラス」「セキュリティ管理室」と順に回転して変化する。この3ヶ所は同じ大学構内という設定。誘拐の身代金受け渡し場所を「部室」に指定し犯人を捕らえようとする刑事達。大学のセキュリティ管理者に協力を仰ぐ。カメラで監視する中、受け渡し場所の「部室」のロッカーに突然人質が現れる。そして消えた犯人。犯人はどうやって「部室」のロッカーに人質を入れたのか?コンピュータウィルスのカウントダウンの真の意味は何か?翻弄される刑事達。同じ大学内で起きた過去の事件。こんなサスペンス風ドラマでストーリーは進む。
シベリア少女鉄道の作品の前半部分は何かの作品をベースにしたような所謂ベタな演出が多い。それが学園ドラマだったり、昼メロだったり、海外ドラマだったり、スポーツ漫画だったり。それは「○○ごっこ」とでも言える感じで、観客はそのベタな設定と展開に「あるある」と頷き、楽しむこともできる。今回はサスペンス風ドラマ。vol.13『笑顔の行方』の時もそうだったけど、今回はそれにも増して話の展開に緩急がなく、ずっと緊張感を持ったまま進む。これもサスペンスドラマや映画によくある展開であることに代わりはないのだけど、どうしても感じてしまう違和感がある。
その原因はこの世界が「部室」「カフェテラス」「セキュリティ管理室」という3箇所の場所だけに限定されているところにあると気付く。もちろんこれ以外の場所で行動していることを想像させるシーンもあるのだけど、結局はこの3箇所のどこかでそれをセリフによって説明するため、窮屈感は否めない。そして場面転換は「部室」→「カフェテラス」→「セキュリティ管理室」の順番に固定されている。舞台の回転から言うと反時計周り。どうやらこの順番に舞台を回すために話の流れのほうをこじつけたようだ。これを守るために、その場所で起こったことの回想シーンを挿入しているシーンもある。
また、今回の前半部分には笑いの小ネタを全く入れていない。役者も笑いを誘うような誇張した演技は一切せず、徹底してシリアスな演技。これまでの作品では前半部分にも多少ながらくすりとさせられる小ネタを入れていたので、今回のようなことは珍しい。自分は状況を把握するためセリフを聞き取るのに精一杯だったのだけど、この前半部分の説明セリフの応酬を退屈に感じる観客もいたようだ(実際にとなりに座った友人は船を漕いでいた)。
ただ、ちょっとした偶然があって、BGMに自分が好きな『メタルギアソリッド』の曲を使っていた。たまたま劇場に向かう電車の中で聴いていたところだったのでこれはちょっと嬉しかった。
客演の加藤雅人氏は初めて見る役者さん。犯人役で上手い。前畑陽平氏は関西弁の熱血刑事役がよく似合う。篠塚茜さんが頭脳をフル回転させるセキュリティ管理者(探偵役)を演じるのはちょっと新鮮だ。感情をあまり表に出さない眼鏡の理系女子。こんなキャラクターがツボな人も中にはいるのでは?
そのうち舞台の回転は止まらなくなり、ゆっくり回転を続けたままストーリーは佳境に。セキュリティ管理者が疑う真犯人も2人に絞られ、コンピュータウィルスの2回目のカウントダウンも迫る(1回目はダミーだった)。何かが始まる予感。少し緊張してしまう。「3、2、1」
後半開始。
「1、2、3、ダー!!」壁のスクリーンに現れたのはなんとアントニオ猪木のボンバイエ(年越しカウントダウンイベント)の映像。そして例のテーマ曲。派手に点滅する照明。「何故???この映像が今回の作品にどう関係あるんだろう?」呆気に取られ、少し混乱していると、アントニオ猪木の映像は回転舞台に向かってビンタを始める。今まで反時計周りに回っていた舞台はビンタされることで一瞬逆回転してしまい、「セキュリティ管理室」と「部室」を行ったり来たりする。観客は肝心の「カフェテラス」で何が起こっているのか見る事ができない。「セキュリティ管理室」と「部室」に残った役者も慌ててそれに合わせた演技をする。
なるほど。この「巨大なアントニオ猪木が舞台を回してしまうために、役者はその舞台位置に合わせて話を進行させる」という構図。作品タイトルのこの世界を支配している「残酷な神」とは彼のことだったのだ。既存の映像を舞台装置に当てはめているため無理矢理な感じはあるけれど(映画『コンタクト』でクリントン大統領の映像を使って出演させたように)、この見た目のバカバカしさ。インパクトはすごい。また、前半をシリアスに徹底していただけにその格差は大きい。むしろこのネタ部分を際立たせるために、わざと前半部分はシリアスな演出に徹していたのだろう。そう言えば自分も最近この日記で「この劇団は前半がシリアスな内容であるほど、後半のバカバカしさくだらなさが際立つので楽しみ。」と書いたこと(5/20の日記)を思い出す。しかしボンバイエの映像というのはちょっとズルい。なぜなら、その映像自体ですでにちょっと面白いのだから(純粋な猪木ファンには失礼かもしれないけれど)。
ビンタを続ける巨大なアントニオ猪木によって舞台はとうとう「カフェテラス」→「部室」→「セキュリティ管理室」の時計周りに回転を始める(前半とは逆回転)。それに合わせて話の辻褄を合わせて進行させようとする役者達が面白い。
「部室」のロッカーに人質を運び込んだ方法は「部室」のロッカーは「カフェテラス」のドアに繋がってるから(実際にセットが繋がっている)ということで解決したり、回転舞台の外に機密データのCDロムを落としてしまい、それを回転舞台から降りて拾うことで手に入れる真犯人だったり、そこにいるはずのない人物が(舞台が回転することで)観客の前に登場してしまったために、急遽回想シーンを演じ始めたり。
この「役者が機転を効かせて芝居の辻褄を合わせようとする」という演出はvol.14『スラムダンク』でも感じたけど、自分が好きな演出の1つ(もちろん役者のアドリブなんかではなく緻密に計算し台本に書かれているのだろうけど)。前回のvol.15『ここでキスして。』では篠塚茜さんと前畑陽平氏だけが特別扱いという説明が作品中になかったのでちょっとしたしこりが残ったのだけど、今回は役者全員がそうなので、問題がない。その中でも自分にとって一番ツボだったのは、なんといってもクライマックスのシーン。
犯人は人質に仕掛けた爆弾の起爆装置(2個目)を手にする。「近寄るな」銃声。犯人を撃ったのは「カフェテラス」の扉に繋がっている「部室」のロッカーに向けて拳銃を構えるセキュリティ管理者。「こんな近くで撃ったら誰だって当たるわよ」。
自分がこの劇団を見るときに決まって感じる高揚感。それは今回もしっかり。
エピローグ。
舞台の回転はスピードアップ。役者は観客の前に留まるために全員で回転装置の上を駆ける。結末へと向かって疾走(文字通り)。今の舞台の状況とサスペンス風ドラマの両方に通じるダブルミーニングでセリフを言いながら、1人ずつ舞台を降りて行く。最後に久保田利伸の『LA・LA・LA LOVE SONG』(回れ回れメリーゴーランド♪)が流れて終演。いつもは拍手をするタイミングがなかなか掴めないこの劇団の作品の中、今回は満場一致の気持ちのいい拍手。
(観たのは一度だけで、思い出しながら書いたので、内容、セリフが間違っていたらすみません)
劇場を出て自分が友人に発した最初の言葉は「いやぁ、かなりバカだったね」。この劇団にとってはこれが褒め言葉。今回もまんまとはめられてしまった。この劇団の作品を観劇後によくある疲労感も今回はなく、残ったのはただ爽快感のみ。
それにしてもよくこんなことを思いついたものだ。ボンバイエの映像を使おうとしたのが先か。回転舞台を使って何かしようと思ったのが先か。思いついただけではなく作品として昇華させるのはこの劇団唯一。本当に感服してしまう。
前半で舞台装置のルールを明示し、舞台の3箇所は(近いけど)それぞれ別の場所で起きているという前提(錯覚)を観客に時間をかけてゆっくりと植え付ける。この前フリには役者に一切のアドリブを入れる猶予を与えない。観客がこの世界に慣れてきたところで、それを後半でいとも簡単にぶち壊し、逆に演劇の回転舞台という舞台装置自体をネタにしてしまう。観客のおそらく誰もが知っているであろう人物(彼のモノマネをする芸人の多いこと!)を本人の意思とは関係なく神として登場させ、その世界の支配のさせ方も緻密に計算しコントロールする。そして神の「馬鹿になれ」という言葉を役者に忠実に実行させる。全てはバカバカしくくだらない構図のために。言うまでもなく本当の「残酷な神」とは作・演出の土屋亮一氏、彼自身だろう。
今回の作品は初の大阪進出。この「シベリア少女鉄道らしい作品」が関西の観客にいったいどう評価を受けたのか?「語り継ぐべき意味をまるで持たない舞台」(今作のキャッチコピー)は果たして関西で語り継がれるのか?興味は尽きない。
次回公演は「春とか、そのちょっと前くらい」ということで、半年以上も先。今回にも増してさらにくだらないことにストレートに注力するのか、それともまだ観たことのないような変化球を投げてくるのか。実に待ち遠しい。
既に自分の観劇サイクルがこの劇団の公演を中心に回っていることに気付く。何回観ても飽きてしまうことなく次回作が楽しみな劇団に出会ったのは、やはり幸せなことなんだろうと思う。またこの劇団にはふと立ち止まって「いつまでもこんな馬鹿なことはやってられない」なんて気付いたりしないで、このまま流れに任せて疾走して行って欲しい。例えばコマは回転し続けることで立っていられるのだから。
(参考)シベリア少女鉄道vol.15『ここでキスして。』の感想
http://d.hatena.ne.jp/hirorize/20060305
(参考)シベリア少女鉄道vol.14『スラムダンク』の感想
http://d.hatena.ne.jp/hirorize/20051025
(参考)シベリア少女鉄道vol.13『笑顔の行方』の感想
http://d.hatena.ne.jp/hirorize/20050511
(参考)シベリア少女鉄道vol.12『アパートの窓割ります』の感想
http://d.hatena.ne.jp/hirorize/20050220
(参考)シベリア少女鉄道vol.11『VR』の感想
http://d.hatena.ne.jp/hirorize/20041110

(他の人の記事)8/3追記
http://playlib.exblog.jp/3453103/